【50代 日本語教師】
さらに遡って考えてみるともっとひどくて、11年前に別れた元夫に対して、対等な立場のはずなのにお世話になるばかりでお返しがほとんどできていないことが、今回内観をして分りました。それなのに私は、夫が自分を助けてくれないとか、会話が成立しないとか、大騒ぎをして離婚をして3年も経たないうちに(父の死がきっかけでしたが)また徐々にお世話になるようになっています。「和解をした」なんていうのは自分に都合のよい表現で、最近母に「甘えている」と言われ腹を立てていましたが、そう言われても仕方ないのかもしれません。
要するに白黒はっきりさせないと気が済まない性格で、周囲に迷惑をかけている訳です。自分を客観視することの重要性が初めてわかりました。物事は何事も「自分の問題」だとは分かっていましたが、自分が「つもり」になっていたことが物事の本質を見えなくさせていました。
今、一番問題となっている母との関係も、母からいろいろ言われ傷ついて自分は被害者だと思って
いましたが、言われることはおそらく当たっているのでしょう。そこのところをもう一度よく考えて、
これからは母と対話していきたいです。
まだ母への感謝が湧くところまでは行っていないのですが、自分がやるべきことをやってこなかったことを考えると、母からいろいろ指摘されるのは仕方のないことととらえられるようになりました。
それから最近、母が長年にわたって買い込んだ家一軒分の金額の大量の物たちの片づけの問題で、ずい分迷惑をかけられたと感じていました。でも内観をしてみて、長年にわたって私が母にかけた迷惑を少しでも返すチャンスを与えてもらえたのだと考え方を変えていきたいと思いました。
「ウソと盗み」の瞑想中に大きな気付きがありました。「私は大ウソつきの大泥棒だ。」と思いました。
私が何十年にわたりつき続けている大ウソは、「本当は私は障害者に生まれてなんて来たくはなかった」という思いを心の奥底に隠してフタをして、そうではないフリをしていることです。
でもいろいろ起きることの根源は全てここにあるのかもしれません。これから先のステップで詳しく
見てゆきたいと思います。
沈黙が大事な3日間でしたのに、自宅に帰るとなぜだか息子が妙になついて来て私のそばを離れなくて困ってしまいました。セミナーを終えて会場から帰るといつも家族に変化が起きていましたが、今回もまた特別に影響を与えているようです。